わびさびつくひび。

ことば、おと、しょく、たびなど。

君が君で君だ。(映画のおはなし)

映画が始まった瞬間、このテンションに2時間ついていけるか心配になった。仕事帰りでヘトヘトだったし、どちらかというと、ふわっとしたストーリーの映画を好む僕としては、えらいとこに来てしまったなぁ、なんて思ってたはずだ。

 

つい先日のできごとなのに、思ってたはずだ、なんて他人事のように言ってしまうのは、今では、この映画が心の中に潜む、ひとつの要素になっているからだ。なったというか、本来あったものを久しぶりに発見したみたいな感覚に近くて、実家に帰った時に小学生時代に読んでいた黄色く日に焼けた漫画本を見つけたみたいな感じかもしれない。

 

尾崎とブラピと龍馬の感情は、一般的には、「屈折した愛情」と言われるのだろう。コップの中のまっすぐなストローが水中では曲がってみえるのは、空気と水の屈折率が違うことにより、脳が都合よくニセものの曲がった姿を見てしまうためだ。彼らの住む世界や価値感と平均的な(僕の日常も)世界や価値感とは、屈折率が違うから、彼らの愛情や行動は曲がって見えてしまうのかもしれない。映画のコピーになっている、「この愛は異常か、それとも純情か。」で言えば、異常の方にあたる。

 

ただ、映画を観すすめるうちに、屈折率の違いはどうでもよくなって、まっすぐなものは、まっすぐで、まっすぐだ、という気持ちになってからは、ストーリーに溶け込みながら、運動不足な心の片隅を刺激されるように感じていた。

 

観たい映画の選び方はいろいろあるけれど、自分では気づかない強さを他人が引き出してくれるみたいな作品との出会いがあってもいいなと思う。こういう機会を与えてくれた、プロデューサーの阿部広太郎さん、監督の松井大悟さんに、感謝です。