わびさびつくひび。

ことば、おと、しょく、たびなど。

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1997年6月、ぼくは札幌円山球場のライトスタンドにいた。婚約中の妻と。オリックスVS西武。後にも先にも妻と野球観戦したのは、この日だけだ。

たくさんの選手の中で、ひとりだけずば抜けて足が速く、肩が強く、鉄壁で、何より打ったときに乾いた、いい音を奏でる選手がいた。素人の目から見ても、群を抜いているのがわかる。

そう、オリックス時代のイチロー選手だ。

田口選手との外野でのキャッチボール。球筋はホレボレするほどで、レーザービームというより、ピンと張った糸のようだった。

オリックスは95年、野村監督率いるヤクルトに敗れ、日本一を逃すも、96年、巨人を破り念願の日本一に輝く。その翌年のシーズンだったから、イチローの輝きといったら半端なかったのだ。これ以降、カープファンのぼくは、自然とイチローファンになった。

メジャーデビュー後のイチローの活躍ぶりはここで説明するまでもない。ヒットを一本づつ積み重ね、その何倍も凡打を積み重ね、準備を怠ることなく、進化し続けた。そして多くを自らのプレーで、節目では自らの言葉で、ベースボールに向き合う愛情や哲学を示した。

 

2019年3月21日。

 

ぼくが最初で最後の生イチローを見てから22年。彼は笑顔で、自らの意思で終止符を打った。しかも日本で。引退会見を夜中までみていたけど、アスリートが現役を引退するときに感じる悲愴な空気はなかった。底抜けに明るく、そして丁寧に質問に答えていた。

もう、メジャーの舞台でも、日本のプロ野球の舞台でも、指揮者のような独特のルーティンをみることはできない。でもね、ビートルズが解散しても、ジョンがいなくても、ぼくはずっと聴き続けるように、4367曲にもおよぶ快音を引っ張り出しては、聴き続けるんだろうな。

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出所: mlb.comのTwitter

イチロー選手、お疲れ様でした。