じゃあね、おっさん。
バスの窓側の席に座っていると、通路側は空いているのに、避けるようにとなりにだれも座ってこない。
少しだけ混雑した地下鉄で、近くの女性(年齢は幅広)が、すっと離れていく。
逆自意識過剰なのかもしれないし、必然なのかもしれないのだけれど、僕の身にもしばしば起こる。
ネット記事によると、アメリカの大学の実験では、男女問わずどんな年齢の人でも「より若い女性と身体をくっつけたい」と感じて、「より年をとってる男性とは身体をくっつけたくない」と感じるという結果だったそうだ。
確かに、おっさんの僕自身だって、他のおっさんの息がかかる距離で満員電車を過ごしたくはないし、飛行機の隣の席に汗だくだくのおっさんが座ってくると、なんだか損をした気分になる。
おっさんは、ウザい。
僕は、おっさんである。
ゆえに、僕はウザいのだ。
(演繹法的にそうなる)
さらに、先の実験結果によれば、年を重ねれば重ねるほど、他人との距離をより長く保つ必要があるということになる。
それを自覚しているだけでも、老若男女を問わず、厚かましさとか、説教グセとか、下ネタとか、昭和あるあるとか、あの頃はこうだったネタとか、今の若いもの否定論とか、オヤジギャグとか、いろいろと気をつけることができるのではないかなぁ、なんて思っている。
ソーシャル経済メディアNEWS PICKSのキャッチコピー、「さよなら、おっさん。」。
このコピー、直感的にあまり共感できるものではなかったけれど(ここでのおっさんは、日本のタテ型社会のメタファー)、おっさんの現実に気づいた今、はからずも何かを感じずにはいられない。
とはいえ、やはり「さよなら」はキツイなぁ。「ようこそ」まで優遇してほしくもないけど、「じゃあね」くらいの、元気でね、というニュアンスが含まれる感じがいいなぁと、おっさんは思うのです。