愛というかたち。
先日、糸井重里さんの
「ブイヨンからのおれい」という展示を観に
ロフトへ行ってきた。
サイン会もあったけど、
定員オーバーで傍観するのみ。
(糸井さんは、今年70歳になるとは思えない
ほど、若々しい)
ブイヨンは、糸井さんが飼っていた愛犬で、
最近、悲しいことに、天寿を全うした。
僕は、ほぼ日刊トイ新聞の「今日のダーリン」
という糸井さんのコラムを毎日愛読してる
んだけど、ブイヨンが亡くなってからの
糸井さんの表現がとても心に響く。
最も印象的だったのは、
ブイヨンがいるから
気にしなくてはいけなかったことが、
いなくなった今、気にしなくてよくなったこと
が一番気になるんだ、という気持ちだ。
ここにいないから寂しいんじゃなく、
ここにいないと思うことが寂しいっていう、
昔、流行った曲の歌詞みたいな、
気持ちに近いのかもしれない。
糸井さんは、ブイヨンからのおれいで、
悲しくはない、でも寂しいと、おっしゃった。
また、ブイヨンは犬というかたちの愛だ、と
糸井さんは言う。
僕は、犬と一緒に過ごしたことはないけれど、
いつか、
離れてしまうもの、
失うもの、
別れてしまうもの、
去っていくものは、
犬だけではなく、
生きていれば、ありすぎるほどある。
現在の自分のそばから消えたものは、
愛を筆頭として、目には見えないけれども、
「かたち」を確実に残してくれるんですね。