自虐はだまって笑いましょう。
いい季節ですね。東京も北海道も。春でもなく、夏でもなく。
いつも東京に泊まるときは、宿をヤドカリ以上に変えるんだけど(あくまでコスト事情で)、今回は、島根イン青山という完全お初のホテルにした。自治体関連の都内ホテルっちゅうのは、ほかにも香川県の東京さぬき倶楽部(建築家、大江宏さんの設計みたいですね)などがある。
ファシリティやサービスはふつうのホテルではあるけれども、チェックアウト中、ピンク色のカレンダーが目に入る。
「そだねー」より「そげそげー」のほうが可愛いと思う。
北海道人のぼくは、そんなわけないっしょ、とこころの中でツッコミを入れてしまった。
これは、日本で47番目に有名な都道府県で有名になった島根県のカレンダーだった。今年のは、鳥取県ともコラボしていて、「負けるな、島根県、鳥取県」と書いてある。
「そげそげー」を流行語大賞に選ばれた「そだねー」に対抗する自虐がなかないいですね。他にも自虐カレンダーネタは、たくさんあって、お気に入りは、
・カーナビが、静かだった。
・人口は七十万、神様は八百万。
・神様の招致には、毎年成功しています。
・芸能人のみなさん、一線を越えるなら人が少ない島根で!
・高齢化率日本一。日本の将来が今見れます。
自虐って自らが発信するからネタとして成立する。ジャルジャルの「はげてもうてる奴 」というネタみたいに、自分でハゲをギャグにはできても、他人に言われるとカチンときちゃうってことがある。
自虐にツッコミを入れてはいけません。ボケに乗っかってもいけません。嘲笑じゃなく、明るく笑いましょう。
ぜんぶ嵐のせいだ。
毎月、上京する用事があるのだけれど、今週末は、連休明けの平凡な週末にもかかわらず、いつもの時間帯の飛行機が取れなかった。かなり早くから予約を試みたり、航空会社のステータスもそこそこ上の方なので、変だなぁと思ってたんだけど、最近になって、その理由がわかった。
嵐の3days アニバーサリーライブ in 札幌ドーム。だよね〜。
こんな嵐のような人の流れの中で、逆に飛行機取れてよかったな、と思いたい。いつもはトンボ帰りのスケジュールなのに、今回はたっぷり東京で過ごせるわけで、美術館に行ったり、友人に会ったり、嵐のせいと考えるよりも、嵐のおかげで予定外とか想定外のことが得られるんだよね。
JR SKI SKIのこのコピーにも通じる、「ぜんぶ雪のせいだ。」という心の持ちようが大事なのです。
新厄年。
先日、北海道神宮で、厄年が早見できる掲示板を凝視していた。男性は還暦にまた来るんだなとか、女性は30代で終わりかなんて見ていたら、今年、俺、厄年やん、と目を疑ってしまった。なんか、前厄も後厄もない、ただの厄年って書いてある。ぼくは占いとかおみくじとかあまり関心がない部類だけれど、唐突に厄年をつきつけられ、おののいてしまった。
調べると、医学的統計から設定された新厄年なるものがあるそうで、平たく言えば健康に気をつけましょうという気づきを与えるということなんだろう。でもなぁ、厄年って病気だけしゃなく、不慮の事故とか、信頼している人にだまされるとか、さいふを落とすとか、犬のふんをふんじゃうとか、あらゆるおきてほしくないことがふりかかってくるような広がりがある強い言葉だよなぁ、と思う。
唖然としながら、突っ立っていたら、小さな女の子がぼくの足にまとわりついてきた。ぎこちない笑顔を浮かべながら、かわいいなぁ、なんて思って。すると、女の子の家族が、
「すみませ〜ん、おじいちゃんと間違ってしまって」
と、謝ってきた。
「大丈夫ですよ〜」と答えたけれど、ぼくの笑顔はひきつり気味。おじいちゃんになってもおかしくない年齢ではあるけれど、本当のおじいちゃんらしき人物は、ぼくからみても本当のおじいちゃんだったから。
早速、厄がついてきたかと思ったけれど、白い頭は確かにおじいちゃんクラスだし、子供の目には偽りはないものですよね。
令和=Beautiful Harmony。
車を運転中、車だと30分くらいかかるなぁ、とひとりごとをつぶやくと、カーラジオからパーソナリティーが「30分くらい」と話した。
散歩中に音楽を聴きながら、西の空がキレイだったので見上げると、「思わず西の空、見上げた」という歌詞が流れた。
マレではあるけれど、こんなふうにシンクロすることがある。これを気味が悪いととらえるか、なんかラッキーととらえるかは、自由ではあるけど、僕は後者の方だ。
子供のころ、友達と同じ言葉を同時にしゃべっちゃったとき、「ハッピーアイスクリーム!」と先に行った方が勝ちみたいな遊びがあった。なぜ、ここでアイスが出てくるのかは、わからないけれど、アイスでも、カレーライスでも、ジャーマンスープレックスでも、なんでもよくて、ハッピーだよね、ってとこが前向きで好きだ。
いま、ぼくが聴きたい歌を、
いま、誰かがリクエストした。
これはラジオのコピーではあるけれど、こんな「偶然」が偶然起きる瞬間をスルーしたくはないし、「偶然」に助けられるのもステキだなぁ、と思ったり。
令和は、公式的には、Beautiful Harmonyと海外に説明してるみたいだけど、偶然のハモリも美しいよなぁ、と新時代を迎えて思うのです。
思い出に発見はいらない。
久しぶりに再会した友人とタイムスリップしたみたいに、近況を話すんじゃなく、当時の思い出を語る時間は楽しい。少しというか、かなり盛ったエピソードになったり、勝手にオチがついていたり、アレンジはされているけれど、単純に過去がよみがえってくる。
ぼくは、ここ1年くらいSpotifyを愛用している。毎月980円の出費はなかなか痛いものがあるが、毎日通勤で聴いているので、定額のストリーミングは、かなり便利だ。
iPodで有名な”1000 songs in your pocket” から、今ならダウンロードではないけれど、ネットにさえつながれば、ポケットに何千万曲が入る時代だ。
今日、投票に向かう途中、天からの声かわからないけど、ホイットニーが急に聴きたくなった。聴かなくなってもう20年くらいになるのかなぁ、亡くなった後も(今のぼくの年齢で)、CDを引っ張り出して特に聴くことはなかった。デビューアルバムは中学生のときに、おこづかいでレコードを買って聴きまくったくらいだったけど、聴きまくったせいで、もう飽きてしまったのかもしれない。
久しぶりに聴いたホイットニーの歌声は、ディーバにふさわしく、80年代、たしかに上質な音楽がとても身近にあったんだなぁということを再認識させてくれた。新しい発見はなかったけれど、なんでもかんでも温故知新である必要はないし、ただ思い出すだけで、じゅうぶんだ。また飽きるまでの少しの間、ホイットニーと一緒に通勤しよう。
人望。
明日から新年度。立場も勤務先も変わるので、経験はしたことないけど転校するみたいな気分。明日には新元号も発表され、5月から突然何かが大きく変わるわけじゃないけど、新しい時代の幕開けには間違いない。
(以下、敬称略します)
イチローが引退してから、少し時間がたった。メジャーリーグは本国でも開幕し、マー君は開幕投手で勝ち星をあげ、菊池雄星は勝ち星こそつかないものの、すでに2試合で好投している。もちろんイチローの姿はないし、イチロー自身の行動もあまり報道されていないようにみえる。イチロスといってしまえば、そうなのかもしれない。
プレーが見れない分、今は言葉を再確認している。イチローが30歳の時に糸井重里と対談したときの本を購入。糸井重里の引き出し方もさることながら、今みても、まったくブレてないイチローもすごい。引退会見では人望がないから監督はムリと言っていた。
小さい頃からイチローにあこがれ、マイアミとシアトルと同じチームになり、新聞広告を打ったゴードン。
感謝を込めたNTT東日本の新聞広告。
いずれも、単なる「ありがとう」だけでなく、イチローを応援しながらも、実は自分が励まされていて、成長につながっている。人望ってこういうことだよなって思う。